開庁願います

暮れなずむ成田空港。見慣れた形の「ヒコーキ」が、めったにお目にかかれない超アップで頭上を通りすぎていきます。さいわい件の事故はすでに処理が終わっており、軽い自然渋滞程度ですみました。とはいえ、もうほとんど時間は残されていません。いや、通関事務所でインボイス(納品書。税額の計算に必要)を受け取ったりするのを考えると、ちょっともう無理そうな感じ。

空港というところ、車はゲートで止められて入港の目的だかを聞かれるんですね。この急いでるときに、えーいいっそ突破しちまいたい気分でしたが、ダーティーハリーに射殺されても困ります。初老の係員さん、にっこり笑って言いました。

「こんにちは。本日のご来港は送迎ですか?」

税関はどこなんですか、税関は。

係員のおじさんは、まるで禁制品の密輸で出頭を命ぜられたかのようなわたしのあわてふためいた態度を怪しむ表情を巧みに押し隠して、丁寧に道順を教えてくれました。税関はすぐ見つかりましたが、何しろ勝手の分からない成田。隣というにはちょっと離れた2号館を見つけるのに一瞬まごついてしまい(何のことはない、向かいの建物だったのですが)、事務所についたのは5時10分すぎ。あーあ。

見るからにがっかりしているわたしにインボイスを手渡しながら、事務所のおねえさん(微妙にメイクが濃いめ)が慰めるように言いました。

「ちょっともう時間を過ぎてしまいましたので通常の通関は無理ですが」

えぇえぇ、みいんなわたしが悪りいんでござんすよ。わかってるからそんなにいぢめないでよ。

「臨時開庁の手続きを行っていただけばなんとか、あ、手数料が別途かかるんですけれども」

…ちょ、ちょっといまなんて言ったの?

「はい、一応どなたでもご利用になれる制度ですので」

あゝらよく見たらおねいさんたらとってもキレイじゃないの? お洋服のセンスもすっごくステキよぉっ、ておカマさんの社交辞令みたいですが、その時たしかにわたしの眼前には、夏目雅子扮する三蔵法師ばりのたっといお姿が(笑)。バックに祥雲瑞光を従えているやに見えたのはこちらの視界が涙でくもっていたせいかもしれんが、とにかく地獄に仏とはこのこと、臨時開庁をしさえすれば、今日のうちに楽器持って帰れるのか?

税関は職務の性質上、ほとんど常に臨時開庁(時間外営業)を行っています。わたしも、通常1時間あたり7000円あまりの手数料を支払えば臨時開庁の申請をできることを、知識として知らないわけではありませんでした。しかしそれは、大量の生鮮食料品や動物、高額貨物など保管が難しいものをすぐに輸入者の手に渡すために図られている便宜で、事実上業者対応の制度です。一点ものの個人輸入に臨時開庁が使えるとは思ってもみませんでした。通関業者側もそれを承知で、いわば目こぼしねらいで言ってみたのでしょう。あるいは、わたしがあんまりにもしょげた顔をしていたのでつい情にほだされたか(は、恥ずかしいなあ)。

なにはさて、館内の売店で証紙を購入、税関3Fの特別通関第一部門へ向かいます。なるほど、いかにも業者という感じの人がうようよしています。いたって気の小さいわたしは普段ならここで思いきり気おくれするところですが、いまは楽器を連れて帰りたい一心です。

「あのお、臨時開庁をお願いしたいんですが」時間外なので臨時開庁に決まっていますから、この時点で素人モード全開です。頭の禿げ上がった男性係官がじろりとこちらを一瞥、インボイスに目を通すとやさしい声と口調ながらわたしが想像していた通りのことを静かに説明してくれました。逆ギレもみっともなし(いざとなったらやるだけやってみる覚悟でしたが)、わたしはうなだれ気味に聞くばかり。一通り話し終えた係官氏はうーんと考えこむ表情になってしばらく沈黙したあと(もったいをつけただけかもしれませんが)、

「個人輸入ですよね。今回1回限りですね?」と。おお、これは脈があるかも!

「はいもうしません2度としませんえぇもうそりゃ絶対に」たのむ、お願い!

「…それでは、書類はこちらで書きますのでかけてお待ちください」…やったぜ三蔵様!俺と結婚してくれ!

◆◇◆

まあ結婚云々はひとまずオトモダチから始めさしてもらうとして(三蔵法師と結婚したがるなんて妖怪かわたしゃ)、後ろの椅子に座っても落ち着かない。なんとなく係官氏の手元の方を見ていると、原木の個人通関部門と比べて明らかにとまどっている様子です。申告書記入用のぶあついハンドブックをひっくり返して「楽器」の項目を探しあぐねていたり(こちらは、だいたいどのあたりか見当がついています)、原産国をどうするか(ロシア製ですが、ドイツで大改造をしてその費用が原価よりかなり高いので、ロシア製楽器の単なる加工販売と判断してよいか、ロシアの部品をドイツで組み立てたドイツ製と考えるべきか)問い合わせの電話をどこかにかけてみたり、いくら公務員は市民への奉仕者とはいえ不慣れな仕事を押しつけてしまったことをすこし申し訳なく思いはじめたころ、「では現物を確認します」との声がかかりました。税関の建物を出て、奥にある保税倉庫の受付窓口に書きかけの申請書を渡して待つことしばし、名を呼ばれたので税関の1階に戻るとフォークリフトがばかでかい段ボール箱を置いて行くところでした。おいおい、これ車に載るかな?

ほどなく別の係官氏(この方も途中から申告書作成を手伝っていた)が降りてきて開梱、中身を確認します。

「へぇぇ、これなんていう楽器? トロンボーン?」

「いえ、チューバっていうんですけど」あなたさっきインボイスから申請書にチューバって転記してなかったっけ?

「ふわあ、初めて見た。(パイプレイアウト部を指差して)このへん、色々ものが隠せそうだね」

「(別に疑ってる風じゃないけど)…抜いて中見ますか?」

「(あわてたようすで)いやいや、いいですよ。元に戻せなくなったら困るし(?)、早くしないと1時間経っちゃうもん」

そうでした。臨時開庁は1時間なんぼだもんね。

とまれ、検査は正味5分ほどであっけなく終了。3Fに戻って1万円ほどの消費税を支払い(本来は自分で構内の銀行で納税して納付書を提出するのですが、もう閉まっているので明日係官氏が代わりに納めてくれるとか。感謝…業者はどうやって決済するんだろう?)、輸入許可のハンコを申告書に押してくれて手続完了。保税倉庫で申告書を見せて手数料保管料を支払って待つことさらにしばし(って30分以上)、フォークリフトがガムテープを開けた口をぶらぶらさせたままのさっきの箱を持ってきました。開梱検査をした時と同じ場所に置いてもらって、さあ、いよいよ「俺のもの」です!

税関の中をもう一度通って反対側の駐車場へ箱を引きずっていきます。重くない重くない…。と、ここで携帯が着信。いつも間の悪いときに連絡をよこすバンド仲間のI氏です。

「もしもし、ちょっと聞きたいことがあるんだけどいまいいかな?」

「…ちょっと取り込んでます」(本当はたった今あこがれの楽器を手に入れたヨロコビをわかち合いたいところですが、わたしは素直じゃないもので)

「もしもーし、なんか電波が悪いなあ、いまどこ?」

「成田の税関ですが」

「へ?ぜ税関?あんた、まさか…」

おい、ゲートのおじさんならいざ知らずあんたまで、いったい何を疑ってるんだよ。

◆◇◆

軽自動車のバックシートはパンク寸前でしたが、苦労してどうにかこうにか押し込んでさあ帰ろうきみの家に、と思ったところでちょっとひらめいてしまい、せっかく詰めた箱をもういちど引っ張り出しました。梱包材をこぼさないようにそっとケースを取りだして、えっとたしか使えないって噂のマウスピースが付属してるんだったよね…。

D-E-C-c-g 。マルカートでもう1度。3回めはできるだけ大きな音で、フェルマータ気味に。税関の駐車場でポンコツの軽自動車にもたれて「未知との遭遇」の有名なフレーズを何度もくりかえし吹きました。

その夜も、働く人たちにとってはいつも通りのカクテルライトに照らし出された新東京国際空港保税倉庫。その周辺で脈絡もなく発信された、拙いけど熱のこもった交信信号をキャッチしてくれた異星人がいたのかどうなのか、それは定かではありません。


ひとつ前【そして成田へ走る】   目次  次【銀チューバと比較して】
[HOME]
sowhat@gwinds.net