2001年3月13日、ついについにあの銀チューバ(金色だけど)が手に入るその日です♪ 午後イチでどうにか仕事を抜けて、千葉県市川市・原木(ばらき)にある東京エアカーゴシティターミナル(TACT)へ。途中道がえらく混んで焦りましたが、それでも4時10分ほど前には到着しました。やれやれ間に合った…。税関のとなりの棟の2階と…ああ、電話をくれた通関業者さんの事務所がありました。入っていって個人輸入貨物の引き取りである旨と貨物番号を伝えると、応対してくれたおねえさんはなぜかすごくけげんそうな顔をしてあちこちに電話をかけています。そして、非常に恐縮したような、いや、どちらかと言うと気の毒そうな表情で言いました。
「あのお…そうした貨物はこちらには来ていないようなんですが」
な、なんだァ!?
「いえ、一昨日アノこちらの○○さんからご連絡をいただいたんですけれどもね」
「○○、でございますか…??。…少々お待ちくださいませ」ちょっとなにその困った顔、いないの○○さん?
さらに待つこと十数分。「お待たせしました。ちょっといま成田の方にお電話がつながってますので、お話しいただけますか?」
な、成田だって!? …なんだかすごーくいやな予感…。
「も、もしもし」
「あーお世話になります。お客様のお荷物なんですが、こちらのえー成田のほうでお預かりしているんですね」
……@%#*※▲*&!!
で、原木との連絡便はさっき出ちまったので、明日なら原木で受け取れるけれども今日はもう無理だから、今日通関したいならこちらへ回ってこいというもの。それをぼんやり聞きながら、最初にかかってきた貨物到着の電話を思い出していました。
実はわたし、通関は今回が初めてではありません。別の楽器やバイクの部品、工作機具など過去に何度も経験があります。その全てが原木扱いだったもので、個人輸入貨物は原木で受ける、とすっかり思いこんでいました。そんな大事なことを、わたしは最初の電話の時に確認していなかったのです。
その日の会話。
「通関はご自分でなさいますか? ふだんお使いの通関業者さんがあればそちらへお回ししておきますが」
「個人で通関します。2〜3日のうちにそちらに伺いますが、おたくさんは何棟ですか?」
…TACTは巨大な倉庫会社。その建物はA棟からK棟まであります。ま、輸入貨物関係の事務所はほとんどB棟(税関と廊下でつながった隣の建物)なので、この質問にはあまり意味がありません。阿呆らしい話ですが、これでちょろっと玄人っぽく気どっているつもりなのです。そして、こういう態度が徒になってしまう。
「は? えーとこちらは2号館ですが?」
「2号館?(2号館ってはじめて聞くな…B棟のことを2号館っていうのかな)それはどのあたりになりますか?」
「はい、税関のすぐ隣の建物の2階になりますけど」
「(なんだ、やっぱりB棟だ。B棟の2階なら何度も行ったことがある)あぁあぁそうですか。わかりました」
\(^O^)/玄人っぽいもなにも、要するにぜんぜんわかっていなかった訳ですよ。通関業者は素人を相手にすることなんてほとんどありません。どうみたって、悪いのは所在地を確認しなかったこっちです。このときすでに4時15分。「本日通関されるのであれば、非常に急いでいただいたほうがいいかもしれません」という電話の向こうのよくわからん言い回しが胸に響きます。税関は役所、開庁時間は午後5時までと決まっています。ここ原木は東関道・湾岸千葉インターチェンジのまん前で成田までは33キロ、すっとばせば何とかギリギリ、という距離です。そうと決まればそれ行けやれ行け、いざ成田!
なんだと? 下り線、四街道で事故?
経営不振の続いていた東京エアカーゴシティターミナル株式会社は、2003年10月末をもって解散しました。大手通関業者の自社拠点化が相次ぎ、これにともなって貨物取扱量が長期低落傾向にあったことが原因のようです。