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・本日のso-what?:2005年6月

※これ以前のリンクは、切れていることが多いと思われます。あらかじめ承知おきください。

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6/27/2005 本日の合掌

絵本作家の長新太さん死去〜アサヒ・コム

何がなんだかよく分からないのになぜだか引き込まれてしまう、天才という他に形容のしようがない点では、谷岡ヤスジ氏と同様の人でした(その他の点では、交差するところは皆無ですが)。

6/25/2005 本日の快哉

mi β版のダウンロード〜mimikaki.net

2.1.7b3から、モード設定の「表示」に「アンチエイリアス」On/Off設定を追加しました。これまでもアプリケーションの設定でアンチエイリアスを切ることはできましたが、行うとメニューバーのアンチエイリアスまで切れてしまっていました。この点が改善されています。

6/16/2005 本日の靖国問題

五 国際社会に対して日本国民を代表する立場の総理大臣が、「戦没者の霊を慰めるため」、「不戦の誓いをするため」という理由で靖国神社を参拝するならば、国民統合の象徴である天皇に対しても同様に靖国神社参拝を進言したことはあるか。あるならば、それに対して天皇はどのように答えたか。また、ないならば、なぜ進言しないのか。

六 小泉総理大臣は、国会答弁の中で、「総理大臣である小泉純一郎が個人として参拝している」と答えているが、これはいわゆる公式参拝とどのように区別されるのか。また、私人としての参拝と同じと理解してよいか。

七 昭和六十一年九月十六日及び十七日の衆院本会議において、中曽根総理は「戦争の指導者や政治家は国民的に批判されねばならない。戦争指導者や政治家と、国の命令で出撃し、戦死した将兵たちとは明らかに立場、責任が違う」、「近隣諸国から批判が出て日本が孤立したら、果たして英霊が喜ぶか。第一線で戦ったまじめな将兵たちは公式参拝見送りを理解してくれると思う」旨答弁している。政府はこの見解を現在も保持しているのか、それとも修正すべきと考えるのか。

靖国神社参拝に関する質問主意書〜衆議院

とても知りたい部分です。真摯な答弁を期待したいものです。

7/20追記…

四及び五について

 一般に、天皇と内閣総理大臣との会話について、その内容を逐一明らかにすることは差し控えるべきであると考える。また、小泉内閣総理大臣は、平成十四年十一月二十一日の衆議院内閣委員会において、「人に奨励するとか、私の参拝を見習ってほしいとかいう気持ちは全くない」「人に参拝しなさいとか言う気持ちはありません」と述べているとおり、他のいかなる人に対しても、参拝を勧奨又は進言することはないと承知している。

六について

 内閣総理大臣その他の国務大臣の靖国神社参拝に係る公私の区別の基準については、昭和五十三年十月十七日の政府統一見解のとおりである。小泉内閣総理大臣の同神社への参拝については、いずれも、政府の行事として参拝の実施が決定されるとか、その経費を公費で支出するなどの事情がないことから、公式参拝ではなく、私人としての立場でなされたものであり、御指摘の小泉内閣総理大臣の国会答弁も、これと同様の趣旨を述べたものであると理解している。

七について

 御指摘の中曽根内閣総理大臣(当時)の衆議院本会議における答弁は、いわゆる靖国問題についての同内閣総理大臣の考え方を述べたものであると承知しており、過去の戦争への反省や、近隣諸国との関係等にも配慮して対応していくという姿勢は、尊重すべきものであると考えている。

衆議院議員岩國哲人君提出靖国神社参拝に関する質問に対する答弁書

五については、進言していないと言いたいのでしょう。仮にこの件に関する会話があったとして、今回それを明かせば次に何を公開せよと言われるかもしれず、陛下のご発言が逐一政治問題となるおそれを含んでいますから、やむを得ざるこんにゃく問答、というところでしょうか。

六の昭和五十三年十月十七日の政府統一見解は、公私の別を論じたものとしては出色のこんにゃく問答(出色というのは何色だろう?醤油色?)ですが、致し方ないといえば致し方ないでしょう。例の「対したことはない」式の「小泉見解」が出てくれば、多少は話になる展開が期待できるのかもしれませんが、小泉首相はこの点に関しては相当慎重に言葉を選んでいるようです。なお、この答弁があった翌日の10月18日、日中平和友好条約が国会で承認、翌年には、靖国神社が答弁当日にいわゆるA級戦犯14人を秘かに昭和殉難者として合祀していたことが明らかになります。

七は五同様に、中曽根氏の個人的な考え方によるものであると言いたいのでしょう。それにしては同内閣総理大臣と肩書きを併記してあり、どちらにも受け取れるような書き方になっています。

6/14/2005 本日のおくやみ

作家倉橋由美子さん死去 「アマノン国往還記」で鏡花賞〜アサヒ・コム

紙面には、加賀乙彦氏の 50年代から60年代にかけてイデオロギー的に屈折した若者を描き、大江健三郎氏と並ぶ存在だった。抽象的だが現実をグロテスクに誇張した独自の作風で、政治の持つごまかしを鋭く暴いた。 なるコメントが掲載されていました。年頃が同じだからといって、大江氏と並べられたのでは浮かばれません。


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