※これ以前のリンクは、切れていることが多いと思われます。あらかじめ承知おきください。
StuffIt Internet Cleanup Ten For X Sharewere〜Allume Systems
Macintoshの定番アーカイバStuffItの開発元、Aladdin Systemsが、Aladdin Knowledge Systems社との混同を避けるため、Allume Systemsに社名変更していました。allumeは、光を表すフランス語です。
社名ロゴのアラジンのランプはそのまま。
「檄を飛ばす」は、自分の主張や考えを,広く人々に知らせて同意を求めること
が本来の意味ではありません。本来は政治的な主張を明らかにする書簡(檄、檄文)を発して共に立つことを求める行為であって、その目的で高札を掲げて民に蹶起を促したものが転じて単に意見主張を広く公開するとなったものですから、ただ「同意を求める」というだけでは、主張の内容が自発的な行動を求める説得調のものである、という「本来」のニュアンスを欠いており、正しいとは言えません。その点、意味のそのものはやや的外れになっているとは言え「元気のない者に刺激を与えて活気付けること」は、このニュアンスをよく拾っていると言えます。「檄を飛ばす」は「同意を求める」ではなく「協力(支援)を求める」がより適当なのです。
「お客さまがお見えになった」は、「お見えになる」が「お〜になる」「見える」の二重敬語。
「政府の不正を暴く文書」を提供するP2Pサイト〜WIRED NEWS
ヒット曲や最新の映画は比較的簡単に現物ないし視聴サービスを購入できますから、P2Pソフトウェアで(違法に)ダウンロードするまでもありません。こうした「手に入りそうで、入らない」ものを検索できる手段として、P2Pの可能性は非常に大きいと思われます。
7/24追記…PtoPネットワーク禁止法の制定を急ぐ米上院〜CNET Japan
コラム:本当の世論がつかめない時代がくる?(高木 健一郎) 〜毎日インタラクティブ
携帯電話の普及によって、電話による社会調査をやりにくくなる、ということですが、それを「本当の世論〜」と言いきってしまうあたり、すぐれてマスコミ的な問題意識であるように思われます。
というわけで、本当の世論がつかめない時代が、すぐそこまできていると思う。携帯電話は、個人と個人を結びつけるのには役立つが、個人と世論、さらには世間との結びつきを弱めている。世論がつかめない時代がくれば、将来、「世論もいろいろ」と開き直る政治家が登場するかもしれない?
調査側の都合で選択されたに過ぎない電話調査の実効性をめぐって、ここまで八つ当たりができれば大したものかもしれません。
「万引をさせないための行動計画」について〜東京都知事本局
- ○学校・警察は、保護者に対し、万引した子どもを同伴し、被害店舗へ必ず謝罪に行くよう働きかける。
- ○古物商は、東京都青少年健全育成条例を遵守し、18歳未満の者からの買取は行わず、例外的に買い取る時には、保護者の同行を求め、又は電話等による同意確認を徹底する。
万引をさせないための行動計画 (主な取組一覧)〜東京都知事本局
この2点だけで、ほぼ片のつく問題のように思われます。子供の規範意識は家庭で、大量被害をもたらす経済的要素は市場でそれぞれ対策をすればよいので、学校の出る幕ではありません。むしろこれらのつけを学校に押し付けるのは非効率と言わねばならないでしょう。
青島氏 事実上の政界引退を表明 〜スポニチアネックス
「気持ちよく戦えたのだが、力が及ばなかった敗因は年かなあ…」と肩を落とした
そうですが、この人の敗因は年齢などではないでしょう。
参院選東京選挙区〜毎日インタラクティブ
又吉 光雄候補の得票が8,000票もあります。
約100kBもあるトップページの9割以上が、検索対策のいわゆる「隠し文字」です。アダルト以外の商業サイトでここまでひどいものは、ちょっとお目にかかったことがありません。
2004年7月より新番組『マグナカルタRadio』がスタート〜文化放送
保志・堀江という最強にして異色のダブルHコンビが一球入魂型のトークを炸裂させます
。…いや、ダブルHは氷室・堀田にのみ許された呼称のはずです。金月・平松ではKJ砲(カード野球?)になってしまいますが。
逮捕監禁致傷で逮捕 88年女子高生リンチ殺人の元少年〜Sankei Web
91年の東京高裁控訴審判決で、懲役5−10年の不定期刑が確定し服役。その後出所し
ているのですから、過去の事件については償いを終えている建前のはずです。現在33歳になっているこの人は、何ゆえ未だに実名報道から守られているのでしょうか。
Blog への提言〜japan.internet.com
ブログを日記ととらえるなら、公開期間のようなものを著者が独自に設定することの意味は小さくないでしょう。その点では同意しますが、なぜそれを実現するのに最近書き込まれた記事は普通に表示されるのに対して、 古い記事になればなるほどフォントの色がセピア色にあせていき、 最後には記事が消えてしまう機能
などという無意味なギミックを付け加える必要があるのでしょうか。人間の記憶が失われてゆく様子をなぞっているとも思えませんし、ただ文章が読みにくくなるだけです。
私はこう考える【教育問題について】〜日本財団