so-what? 倉庫

・本日のso-what?:2002年1月

※これ以前のリンクは、切れていることが多いと思われます。あらかじめ承知おきください。

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1/31/2002 グーグル+ひとり遊び

グーグルワック(GoogleWhack)というゲームが流行しそうな気配です。Googleで、検索結果が1件となるような2つのキーワードを見つけるというシンプルなものですが、これがなかなか難しいです。

 「結腸内視術」と「オカメインコ」をキーワードにして検索したら、何がヒットするだろうか。「地図作成学」と「(動物が飲み込んだ毛でできる)毛球」をキーワードにしてヒットした件数を競ってみるのはどうだろうか?――これが新しい遊び、『グーグルワック』(Googlewhack)だ。
大ヒットの最新ゲーム『グーグルワック』〜CNET Japan
 一見,時間の無駄とも見えるだろうが,Googlewhackingをきっかけに,人々が昔のようにWebサーフィンを楽しむようになってほしいとStock氏は言う。
 「かつて人々は,Webをあちらこちらさまよったものだが,最近はそれぞれの居場所を見つけ,そこから抜け出ようとしない。(Googlewhackは)人々が新しいことを学ぶ優れた手段だと私は思っている」(同氏)
Googleで検索結果=1を目指せ〜zdnet

楽しみ方もさまざまで、

などなど。いや、楽しいです。このはまり具合ときたらまきがめ以来かもしれません。

ネタづくりは面白くありますが、奇をてらおうとしてあまり突飛なキーワードを選ぶと1語でヒットページが極端に減ってしまい「あたったページの中から面白そうな第2のキーワードを物色する」というちょっと興ざめっぽいマヌーバーが成立する余地が生まれてしまいそうです。掲示板などで競ってネタ発掘するにはそれで十分なのではありますけれども。

最近立ちあがった匿名掲示板(仮)のスレッドに参戦?していますが、なかなか思うような物ができず苦戦しています。

1/30/2002 遅すぎる決断のはずですけれど

小泉首相は昨夜遅く、田中真紀子外相と野上義二外務事務次官を同時に更迭しました。大臣に関してはもう半年早く更迭されるべきではありましたが、少なくとも歓迎されるべき措置であることは間違いありません。小泉氏と後任の外相氏には田中大臣の大チョンボの数々をどのように収束するか、責任ある対応が求められそうです。

それにしても、ピースウィンズジャパンというのは驚くべき組織で、統括責任者という立場の大西健丞氏は、

 帰宅途中、知人からの電話で事態を知ったという大西氏は、会議への参加を野上次官に指示した田中外相について「外相まで辞めさせられるとは」と驚いた様子。「聞いたばかりで、混乱している」とショックを隠さなかった。
「説明責任果していない」=一時参加拒否のNGO代表〜Yahoo! NEWS・時事通信

などと発言しているのです。外相が辞めなければ、話にならないじゃありませんか。これ以上かばって、いったいどうするつもりなのかしら。

1/30/2002 女の涙に弱いに弱いのは誰だ

外務省がアフガニスタン復興支援国際会議へNGOの参加を拒否した問題で田中真紀子外相が記者団相手に泣き出す醜態を晒しましたが、これを「涙は女の最大の武器」と評した小泉首相の発言が問題となっているようです。

 29日の自民党総務会で野中広務元幹事長が「首相の発言は女性べっ視だ」と批判。青木幹雄参院幹事長も同日の記者会見で「こういう時期だから総理もものの言い方、表現の仕方は十分気をつけて発言する方がいい」と注文をつけた。
 一方、辻元清美社民党政審会長ら野党各党の女性議員は同日午後、福田康夫官房長官の秘書官に要望書を手渡した。要望書は、首相の発言について「小泉首相が女性の発言や怒り、悲しみに対し偏見を持っていることを示している」と厳しく批判している。
小泉首相の「女の涙」発言、波紋広げる〜 アサヒ・コム

発言しているのが野中氏、青木氏、辻本氏で、とどのつまり小泉氏の脚が引っぱれさえすれば理屈なんかどうだって構わん人たちなのだよ考えればこうした批判?もありなのでしょうが、元々無能のうえに得意のいいカッコをする余裕もなくこの体たらく、どう思うかと聞かれて正直に答えれば大臣更迭論まで行きつかざるをえないでしょうから(そうなって欲しいのは山々ですが)、小泉氏が「女の武器」を口にしたのは話がそっちに行くのをかわすためのとっさの機転だったのでしょう。この状況でこの発言が女性差別的だというのは、理由がまったく不明です。

さきの女性議員諸氏の発言は、女性の怒りや悲しみに涙が付き物であることを半ば認めてしまっています。それこそ偏見だと思うのですが、違うでしょうか…。女は涙以上に頼れる武器をもっていない(泣くしか能がない)愚かな存在だって言ったな?という解釈なのだとしても、この文脈において泣くしか能がなかったのは女性全般ではなくひとり田中大臣に限ったことであるのは明らかで(小泉氏は田中氏の涙の力を認めて外相に任命したのでしょうか)、それを女性蔑視の方に拡大して論ずるのはためにする議論であるとしか思えません。女性議員諸氏は「わたしたちを田中外相と一緒にするなんて心外だ」と(どうせそう思っているんでしょうから)言えばよかったはずなのですが、それはそれで露骨に差別的で、そこまで言い出す勇気はないのでしょう。真紀子だからってバカにするな! 官僚を使い走りにするのだって、一生懸命やっているんだ!

いずれにせよはっきりしているのは、泣きたいのは国民の方だということです。差別談義なんてしている暇があったら、田中外相おろしの策でも練ってくださいませんか。

1/28/2002 野村證券、出身大学を聞く方式に戻す<新卒採用>

野村證券は1999年から行ってきた「新卒採用にあたって出身大学を一切聞かない」方式を廃止しました。聞いても聞かなくても同じであれば、わざわざまた元に戻す理由になりませんから、出身大学を初めから押さえておくメリットの方が大きいと判断したわけです。

 また、野村證券では、学校名にとらわれず、人物本位の選考を行うスタンスをとっています。「完全公募制」に移行した1999年度入社の新卒採用から、選考プロセスにおいて学校名は一切お聞きしませんでした。しかしながら、応募された学生の皆さんのバックグラウンドまで含めて深く理解するという点では不充分な側面もありました。したがって、2003年度採用では、選考プロセスにおいて学校名についてもお聞きすることとし、応募された学生の皆さんをより深く理解させていただいた上で、人物本位の選考を更に徹底して行っていきます。
2003年度採用について〜野村證券

出身大学という情報が学生のバックグラウンドを理解するうえで重要なファクターを占めていたというふうに読めます。人物本位の選考をするために学校名が必要であるならば、何も悪びれることはないはずですし、そんなマイナーな変更がニュースになることもないでしょう。この言い訳がましい記事を書いた方がどちらの大学のご出身なのか存じ上げませんが、まずご自分の中に充満している偏差値概念を振り払うことからお始めになるべきでしょう。いつまでも浪人生ではないんだから、社会人なら売り上げを気にしなくちゃ。

1/26/2002 新大久保駅転落事故から1年

東京・新宿のJR新大久保駅で、酒に酔って線路に転落した男性を助けようとした日本人と韓国人の男性がホームに入ってきた電車にはねられて3人とも亡くなった「新大久保駅転落事故」から1年が過ぎました。15日には韓国を訪問中の小泉首相が亡くなった李秀賢の両親に 面会しています

こうした、いわば咄嗟の判断によってなされる(生命さえ賭けるという異常?な)献身というものは、何をその根拠としてなされるものなのか、ときどき考えるのですが一向に分かりません。人命は尊ぶべきであるという「教育」の成果なのか、一見利他的・非合理的なようでも遺伝子プールの保持という集団的要請には沿うている合理的行動なのか、それとも、それこそが原始的な宗教の芽というべきものなのか…。

 白洲を下がる子供等を見送つて、佐佐は太田と稻垣とに向いて、「生先の恐ろしいものでござりますな」と云つた。心の中には、哀な孝行娘の影も殘らず、人に教唆せられた、おろかな子供の影も殘らず、只氷のやうに冷かに、刃のやうに鋭い、いちの最後の詞の最後の一句が反響してゐるのである。元文頃の徳川家の役人は、固より「マルチリウム」といふ洋語も知らず、又當時の辭書には獻身と云ふ譯語もなかつたので、人間の精神に、老若男女の別なく、罪人太郎兵衞の娘に現れたやうな作用があることを、知らなかつたのは無理もない。しかし獻身の中に潜む反抗の鋒は、いちと語を交へた佐佐のみではなく、書院にゐた役人一同の胸をも刺した。
森鴎外 「最後の一句」 ※「鴎外」の1文字めの「へん」は「はこがまえ」に口が三つはいる

新大久保駅構内には、両氏をたたえる顕彰碑が設置されています。向かって左側に日本語、右側にハングルで文字が記されており、日本語の方は次のようです。

 カメラマンの関根 史郎氏、韓国人留学生の李 秀賢氏は、2001年1月26日午後7時15分ごろ、新大久保駅において線路上に転落した男性を発見し、自らの身の危険を顧みず救助しようと敢然と線路に飛び降り、尊い命を落とされました。
 両氏の崇高な精神と勇敢な行為を永遠にたたえ、ここに記します。
 東日本旅客鉄道株式会社
山手線新大久保駅構内顕彰碑

1/24/2002 プリンセスナインDVD米国版第2巻

昨年末に amazon.com で予約したプリンセスナイン米国版が届きました。第1巻のサブタイトル "FIRST INNING!" に続き、2巻は "DOUBLE HEADER!" がサブタイトルになっているのですが、トールケースのシーリングにはなぜか PRINCESS NINE #2 DOUBLE PLAY と 印字 されています(笑)。映像特典はなんとOden Cooking Special…。けっこうまともな内容のナレーションに合わせて、スキンヘッドのおねえさんが小指を立てつつ黙々と料理する姿が妙にそそります…。そしてかたわらには、おお、BENTEN BEERのモデルにもなったエビスが! A.D.Vision、只者ではないですね。

チビ宏樹はきっちり他の声優さん立ててました。あたりまえじゃ。

1/23/2002 わぉ〜〜ん、わぉわぉわぉ

民主党の菅直人幹事長の 公式ページ には、管氏の「今日の一言」が掲載されています。その本日分、「小泉人気の秘密」なのですが、…

 その点小泉総理はうまい。何かやった後それが抵抗勢力との妥協の産物であっても「我ながらよくやった」と自分をほめる。小泉総理が自分をほめている姿をテレビで見た視聴者は、自分も一緒になってほめたような錯覚に陥る。雇用情勢など経済は最悪なのに小泉人気が衰えない秘密はここにある。
小泉人気の秘密〜 菅直人の活動日誌

そんなすごい秘密を発見したのなら、菅氏も真似すればいいのにと(皮肉ではなく)思うのですが、そういうのはダメなのかしら。

1/22/2002 こんな科学に誰がした

朝日新聞の文化欄に、ソニーコンピュータサイエンス研究所の上席研究員、高安秀樹氏のコラムが掲載されました。世間の科学に対する大きな勘違いというのは2つあって、1・科学は知的世界における探検のようなものであって、既存のものを勉強して身につけるものは観光バスの名所巡りである(つまり、科学ではない)。2・科学は自然界のすべてをまもなく記述し尽くすと思われているようだが、身近な現象にも科学的に未解明のものは多数存在しており、知的冒険の余地はいくらでもある、のだそうです。そのうえで高安氏は、子供の純粋な視線はこうした科学の芽を見出すのに適しているので、夏休みの自由研究をプロの科学者がまじめに審査する仕組みを作ってはどうかと提言しています。

 最近、夏休みを利用して自由研究に取り組んでいる子供が多い。子供の発想はまさに自由であり、研究のプロの目から見ても、斬新さがある。これを学校の先生に「よくできました」と評価されるだけで埋もれさせてしまうのは、あまりにもったいない。では、どうしたら子供の好奇心に満ちた自由研究を科学の土俵に載せることができるだろうか。
 私は、子供の自由研究に限らず、アマチュア科学者の研究をまじめに審査し、論文として掲載するような雑誌を刊行することで、科学を作り上げていくプロセスを広く浸透させることができるのではないかと考えている。
高安秀樹『「自由研究」を科学の土俵に』〜朝日新聞1月22日夕刊2版・一部表記を改めた

これは、どういう文脈での提言なんでしょうか。

  1. 単に子供の独創性を育てるカリキュラムのひとつ
  2. 若者の理科離れを食い止め、理系の進学者を増やすための試み
  3. 科学を作り上げるプロセスを浸透させるための施策
  4. プロの科学者は壁に突き当たっているので、素人の斬新な発想を吸収したい

高安氏の本意が(4番目も含めて)どこにあるのか、コラムを読んだだけではまったく分かりません。
素人であるわたしには、身近にごく当たり前に存在するものの新奇性を「発見」するのが当然にもっとも難しいように思えるので(木の葉を隠すには森、小石を隠すには砂浜)、それをプロのサポートまでつけて敢えてせよというのはなにか途方もない主張のように思えてしかたがありません。1と2は、引用の後段から少なくともそれだけが目的ではないはずです(が、そうするとコラムのタイトルの意味は?)。3だとすると、次の引用部分でコラムが閉じているのは(子供だけが視野の提言ではないはずなので)おかしい。

 このような自由研究を推進する仕組みを実現するために大きな予算や緻密な計画は必要ない。枠組みさえ用意できれば、あとは、日本中にいる探検家のたまごたちが殻を破って動き出し、自発的な活動でおのずと道が開けていくはずだからである。
高安秀樹・前掲

…読売新聞社が主催している日本学生科学賞というのがあって、毎年びっくりするような高レベルの研究成果が発表されるのでわたしも楽しみにしています。長期にわたる調査研究には根気だけでなく経験も不可欠で、それには指導教諭のバックアップが不可欠です。高安氏はご自身がその「知的冒険」の現場でエキスパートとして活躍してきたのですから、こうしたノウハウの蓄積にどれほどの労力が費やされなければならないか、十分にしているはずです。いや、高安氏自身、知的冒険に踏み出すための体力をつけるために指導教員のバックアップを受けた時期が必ずあったはずです。予算も計画もろくすっぽなしにこんなことを始めれば、現場がパンクするのは火を見るよりもなんとやら、高安氏はそのあたりのことをどのように考えているのでしょう。なりふり構っていられないほど、やっぱり4番なのかな…。

ああなんと不条理な。こんな科学に誰がした? もしか冒険家さんの団体ツアーかな?

1/19/2002 分裂?統合?

日本精神神経学会が、精神分裂症の呼称を「統合失調症」と改めることを理事会で承認しました( Yahoo! 毎日新聞 )。 精神神経学会のサイトにはまだ関連情報は上がっていませんが、改称の要望を出していた 全国精神障害者家族会連合会 (全家連)のサイトでは改称運動の経緯など詳しい記述が読めます。(1)スキゾフレニア(2)クレベリン・ブロイラー症候群(3)統合失調症の3案をあらかじめ挙げて意見を募っていたわけですが、耳なじみの明らかに悪い(1)(2)は初めからあり得ないでしょう。(3)は順当です。しかし「分裂」と「統合失調」というのは、ほとんど同じことを言っているようにしか思えませんが、見る方が見ると違いがあるものなのでしょうか。

 これらに対する全家連の考え方は、第一の問題に対しては、精神分裂という語感の悪さが患者や家族を病苦以上に傷つけている、というものです。現に、1996(平成8)年に全家連が行った第3回の家族調査でも、分裂病という病名を変えた方がよいという人(65.5%におよぶ)の「病名を変えたい理由」は、何よりも否定的なイメージにありました(必要なしは8%、残りは「わからない」と回答)。
岡上和雄 「病名変更と全家連」

歴史的な経緯は理解できます。平気で嘘をついたり論旨が矛盾することを「分裂症的」と称されることは、関係者の方にはとても不快でしょう。しかし、それならば分裂症がどのような症状を持っているものかを広く知らしめることが本道であるはずです。『「精神分裂」では精神全体が分裂しているような印象を与え、偏見や差別を助長する」』とも言いますが、門外漢であるわたしには、精神という抽象的なのか具体的なのかはっきりしないモノを全体とか部分とかで分けて考えるというのは、偏見や差別以前に理解がさっぱり助長されません。

 主な考え方をあげてみますと、「クレペリン―ブロイラー病(症候群)」のように人名をつけたもの、余計な意味をつけないように「スキゾフレニア」とカタカナ書きでよいとする考え方、「統合不全症」のようにもとの意味を別のコトバにしたもの、「幻覚妄想症」「過敏衰弱症候群」のように症状の名前をそのままつけたもの、などの案があります。
高木俊介 「精神分裂病」という病名を捨てよう 〜精神が分裂してるってどういうこと?〜

これでは(1)(2)は初めから当て馬、と思われてもしかたがないでしょう。BSEやクロイツフェルト・ヤコブは、よりシンプルな狂牛病という呼称にはかなわないものです。

1/17/2002 政治的に正しい名探偵?

ちょっとしたひまつぶしに、新聞の投書を好んで読みます。どんな内容、ニュアンスの投書をよく採用するかでその新聞社のスタンスがわかるそうですが、なに、こちらはそんなこといちいち考えておりません。少なくともふだんは。

 私は「名探偵コナン」(月曜、日本)が嫌いだ。新一(コナン)がほとんど自分一人の考えで犯人に仕立て上げていく。犯人というのは慎重な捜査と裁判で明らかになっていくもので、高校生が勝手に決めて良いものではない。新一のえらそうな態度が腹立たしく感じるのだが、いかがなものか。(埼玉県・26歳)
朝日新聞13版 テレビ欄「はがき通信」

しかし、これではコナンでなくなっちゃうと思うのですが、いかがなものでしょうか。

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